「第82回 カフェ・頼政道」 4月20日
終了しました
「頼政ってどんな人?パート2」
|
カフェ頼政道 4周年記念講演「頼政ってどんな人 PartⅡ」
4月20日(日)京都女子大学 宗教・文化研究所の野口実先生にお出でいただきました。カフェは超満員です。
先生のご専門は 日本中世史とのことですので頼政道の話や源頼政についてお話を聞くのにこれほどの方はいないということになろうかと思います。それに野口先生はカフェの近くの平尾台に住んでいらっしゃるのですから、住民目線でも周辺の歴史について語っていただけるというものです。
頼政の人物像や頼政の反旗から最期までの話、浄妙寺の発掘とその概要、松殿山荘の今昔、それから宇治市木幡から黄檗にかけて点在する多くの宇治陵、金草原・観月橋の名前の由来を教えていただきました。それから私には大きな謎であった「宇治・木幡はどのような理由でこのような文化を持ち得たのか」の答えが野口先生のお話でようやくわかりました。
先生のお話では、この宇治・木幡は藤原一族をはじめ多くの公家の別荘地であったことがこの地域の文化を生んだ大きな理由だということです。まあ別荘地と言っても今風に言えば「癒しの場所」のような意味ではないかと思えます。例えば、多くの公家は巨椋池をやや高みから見渡せ、時には池に映る月を愛で、さらには巨椋池に船を出し、池がもたらす恵みを味わったのでしょう。そして遥か西方を見渡すことができたこの地を愛したのでしょう。先生の言われるように山城のこの地は西では高い山が途切れて、遥か遠くまで西のほうが見渡せます。その当時のお公家には、はるかに西に仏教でいう極楽「西方浄土(さいほうじょうど)」が見えたのでしょう。
野口先生ありがとうございました。
講演後、参加者から多くの質問がでました。多くの意見交換があちらこちらでされていました。