「第49回 カフェ・頼政道」 9月2日
終了しました
「木幡よもやま話」~宇治陵と浄妙寺の周辺~ 吉水利明さん
宇治のことなら何でも知っている吉水さんです。平成10年から歴史資料館のお仕事に携わってこられました。その前は、宇治市の文化財のお仕事をされてこられました。現在は財団法人宇治市文 化財愛護教会理事長です。「宇治の碑(いしぶみ)」(平成17年発行、現在品切れ中)の著書もありま す。今回は、私たちが住んでいる木幡にちなんで、宇治陵の成立、道長による浄妙寺の建立、付近に残されてる仏像などのお話をしてくださいます。きっと、わが町木幡の豊かな地域性に触れることができるでしょう。
「木幡よもやま話」 感謝とお礼
9月2日(日)は宇治市歴史資料館の前館長の吉水利明さんにきていただきました。講演のタイトルは「木幡よもやま話」。
吉水さんのことは以前から宇治のことなら吉水さんに訊け、「宇治の生き字引」と、そのお名前は遠くから聞こえていましたが、カフェ頼政道に来ていただく機会をもてないでいました。
ところが先般からカフェの新しいスタッフに加わっていただいた宇治公民館の前館長の橋本道広さんの推薦と紹介により今回の「木幡よもやま話」が実現しました。
木幡のという地名の由来の話は時々聞きますが、今回は明確に教えていただきました。宇治の古い名は「許の国」と言う、そしてその地域の端が木幡と言われるようになったのではないかということです。木幡は「許の国の端」であろう、です。(皆さんよく覚えておきましょう)そしてその許の国の木幡地方の土着神として、とりわけ農耕の守護神として尊崇されていた許波多神社はもともと今の黄檗公園の一隅にあり、その名を柳明神と言いました、ということも教わりました。(それにしても木幡って広い)
それから宇治市木幡から黄檗にかけて点在する多くの宇治陵のお話です。当時隆盛を極めた藤原家出身の皇室関係者の小さな墓所で、37ヶ所あります。ところがまとまった資料なく被葬者名はわからない、詳細は不明ということです。宇治の謎の一つです。(地域住民として宇治陵をどのように考えるか、難しい・・・宮内庁はどのように考えているのでしょうか)
道長による浄妙寺の創建の話も聞かせていただきました。これも謎のある話です。(他の遺跡なら発掘されると思いますが、この辺の話は簡単にはいかないのでしょう)
講演のあとでいつものように質疑応答の時間がありました。
参加者の皆さんの熱い質問にも丁寧に答えていただきました。ちゃんとした資料があるから歴史が後世に伝わるということも教えていただきました。
吉水さんの「木幡よもやま話」はよもやま話というにはもったいないくらいの非常に興味深い話でした。もともと事務職で専門家ではありません、と言われる吉水さんの知識に対する謙虚な姿勢と宇治市の文化財や歴史に対する暖かい気持ちが伺える講演でした。予定の1時間があっという間に過ぎました。
次回はなぜ「宇治はこのような文化を持ち得たのか」に迫るお話を聞かせていただきたいと勝手に思っています。